青木区長の同時選挙公約が実現しなかったのはなぜ?

しろめくろめの会 高村重明

 青木英二目黒区長は最初の選挙に立候補するにあたり別々に行われていた区長選挙と区議会議員選挙を7000万円の無駄をなくし投票率を上げるため同日選挙にする、そのため当選したら任期途中で辞職するという公約を掲げました。ところが5期20年を過ぎてもその公約は実施されていません。なぜなのか。真実は闇の中ですが議事録やさまざまな状況証拠から検証してみました。

疑惑まみれの薬師寺区長の死亡で急遽区長選挙に

 2004(平成16年)年3月7日早朝当時目黒区長だった薬師寺克一氏(71歳)が死去しました。翌日薬師寺氏の信任が厚かった契約課長加藤義光氏がビル清掃会社から200万円の賄賂を受け取った疑いで逮捕されました(本人も認める)。薬師寺氏には黒いうわさが絶えませんでした。彼が立候補した最初の目黒区長選挙(自民・民主・公明・自由・社民・自連推薦)では薬師寺氏の選挙参謀だった元区長室長の菊谷伸夫氏と目黒区議会議員の横山大氏が公職選挙法違反(買収)の疑いで逮捕されました(起訴猶予)。旧目黒区役所と公会堂の売却をめぐり最高で111億円の購入希望があったのに三菱商事に72億円で売却し須藤甚一郎区議から訴えられました。また特別養護老人ホームの補助金不正受給事件(いわゆる青い鳥事件、東京都福祉局長が逮捕される)に絡んで元目黒区議会議員会が目黒区に約1,500万円の損害賠償を求める訴訟を起こしました。薬師寺氏は死亡の翌日出廷する予定でした。

区長区議同時選挙を公約に青木氏が当選

 薬師寺氏死亡に伴う目黒区長選挙(2004年4月18日告示、25日投票)の立候補者と得票数は次の通りです。前回選挙から1年半後で投票率は27.27%でした。

候補者名  年齢   肩書     党派   得票数  得票率 推薦・支持

青木英二   49 都議会議員    無所属  27,114票 42.26% 民主推薦

桜井雅彦   45 小杉元秘書      無所属   23,217票   36.19% 自民・公明推薦

中村正子   60 ジャーナリスト  無所属  13,826票 21.55% 共産推薦

 青木英二氏は立候補にあたり、区長選と区議会議員選挙を同時に行い7千万円の経費節減と投票率を上げるため任期途中で辞職することを公約の一つとしました。目黒区は1980年(昭和55年)に当時の塚本俊雄区長が死亡してからずっと選挙が別々に行われ、投票率が低下していたからです。しかし辞職しても再当選すると残りの任期は辞職しなかった場合と同じになる(公職選挙法第259条の2)ことに気が付き、途中から公約を辞職ではなく「解職」に変更します。区議会の区長不信任決議が採択され解職されて再選挙、再当選ならば任期は4年だからです。青木氏が最初このことに気が付いていなかったことは1期目の任期が迫った2008年3月18日の目黒区議会予算特別委員会で須藤甚一郎区議の「選管への問い合わせは当時選挙の経費節減についてのみかその他にもあったのか」という質問に安井選挙管理委員会事務局長が「問い合わせは経費のみでした。」と青木氏の目の前で答えていることからも明らかです。

責任転嫁されて議会は大いに怒るが…

 自分が辞職するのではなく、区議会に不信任決議をするよう同時選挙実現の責任を押し付けるという前代未聞の公約変更に区議会は大いに反発します。青木区長が当選後初の所信表明演説は2004年(平成16年)6月18日の第2回定例会でした。そこで青木氏は同日選挙について「今後、議会とも十分に協議させていただきたいと存じます。」と不信任決議を前提に発言しています。これにたいし当時野党だった自民党の宮沢信男区議は代表質問で「辞職」を「解職」としたことは議会を冒涜した公約変更であり投票した区民への背信行為であると厳しく批判しています。

本当は知っていた?同日選挙の事実上唯一の方法

 ここで青木区長も、批判する議員も重大なことを見逃しているかあえて触れていません。それは区長自らの辞職によって同日選挙を実現する方法が一つだけあることです。それは辞職後の再選挙に青木氏が立候補しないことです。公職選挙法で再選挙により当選し任期が前の任期と同じになるのは同じ人が再度当選した場合で、別の人が当選すればその人はそこから4年間が任期になるのです。ですから区議会議員選挙に合わせて辞職し同時に区長と区議の選挙を行い青木氏が出馬しなければよいのです。このことを恐らく青木氏は知っていました。質問する区議も知っていたはずです。それでもあえて触れなかったのは同時選挙になると都合が悪かったからです。つまり投票率が上がり固い組織票以外の人が投票すると落選の危険が高まるからです。実際同時選挙より別々の選挙の方が大幅に投票率は下がっています。こうして区長と自民党との蜜月が始まり青木氏の2回目の選挙では自民、公明とも与党となってしまいました。

同時選挙はできなかったのではなくしなかった!

 青木氏は区長と区議の同日選挙の実現だけでなく汚職事件の疑惑を晴らすこと、区長多選の弊害をなくすための多選禁止条例を制定することなどを公約としていました。1期目3年間の間に薬師寺氏の疑惑解明と多選禁止条例を実現し、区議会議員選挙に合わせて辞職して再立候補はしないことが公約に責任を持つ政治家として当然すべきことでした。それらはできなかったのではなくしなかったのです。前区長の死去による突然の区長選挙にいち早く立候補を決めた青木氏は自民公明の支持がない中でどうすれば当選できるか一生懸命考えたのだと思います。その結論が先の3つの公約でした。目黒区の選挙管理委員会に問い合わせて同日選挙の効果が約7000万円であることも確認し公約に盛り込んでアピールしました。思惑通り世論の支持を得て当選しましたが当選してしまえばあとうはどうとでもいいのです。あれこれいいのがれしたり議会に責任転嫁したりしてうやむやにしてしまいました。

しろめくろめ

しろめくろめの会(明るく住みよい目黒を考える会の略称)の世話人の一人が運営するホームページです。目黒区政に係る情報を発信しています。

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